SAITAMA STORY
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地域コラム

【さいたま新都心物語】
操車場の跡地から未来都市へ。
私たちが愛するこの街の「変遷」を辿る

Posted by 街の案内人

さいたま新都心の全景

皆さん、こんにちは。
普段、何気なく通り過ぎている「さいたま新都心」。
けやきひろばでビールを楽しんだり、コクーンシティで買い物をしたり、アリーナのライブで熱狂したり。今や埼玉の顔とも言えるこのエリアですが、ふと立ち止まって空を見上げると、ここがかつてどんな場所だったか、想像できますか?

今日は少しだけ時計の針を戻して、この街の「生い立ち」についてお話ししようと思います。

始まりは「東洋一」の操車場

今の近代的なビル群からは想像もつきませんが、かつてこの場所には、国鉄の「大宮操車場」が広がっていました。
昭和の高度経済成長期、ここは日本の物流を支える心臓部。昼夜を問わず貨物列車が行き交い、その規模は「東洋一」とも謳われたほどです。

昔の操車場や蒸気機関車

※イメージ

今のスーパーアリーナがある場所も、合同庁舎がそびえ立つ場所も、かつては無数のレールが敷かれ、蒸気機関車や電気機関車が熱気を帯びて走っていたのです。
「物を運ぶ拠点」から「人が集う拠点」へ。
土地の役割は変わりましたが、ここが「何かが動き出す場所」であるというDNAは、今も受け継がれている気がします。

2000年、街びらき。「未来」が埼玉にやってきた

大きな転換点は2000年(平成12年)5月5日。「さいたま新都心」の街びらきです。
当時の興奮を覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか?

これらが一体となり、ペデストリアンデッキ(歩行者回廊)で結ばれました。車と人が立体的に分離されたこの街の構造は、ドライバー視点で見ても非常に洗練されており、近未来を感じさせる風景です。

そして現在、進化し続ける街の「鼓動」を感じる

現在の夜景やイルミネーション

現在、さいたま新都心は、周辺の病院や、コクーンシティの拡張などにより、さらに深みを増しています。
朝は足早に職場へ向かう人々、昼はベビーカーを押す家族連れ、夜はイベントの高揚感を胸に帰路につく人々。

時間帯によって、この街は全く違う表情を見せます。
ただの「コンクリートのジャングル」ではなく、そこで暮らす人、働く人のエネルギーが満ち溢れている場所。

実は、この「街の表情の変化」に一番敏感なのが、街を走るドライバーたちなんです。

「今日はアリーナでイベントがあるから、あの通りが賑わうな」
「新しいマンションができたから、人の流れが少し変わったな」

そんな風に、まるで街の脈拍を測るように、日々変わりゆく景色を特等席で眺める。
それが、この街に関わる一つの醍醐味かもしれません。

編集後記:少しだけPR

私たちは、そんな「さいたま新都心」をはじめ、埼玉の街を走るタクシー会社です。
もし、この記事を読んで「へぇ、この街の歴史って面白いな」「街の移ろいを眺めるのが好きだな」と少しでも感じたなら。

あなたには、「街のコンシェルジュ」としての
才能があるかもしれません。

運転技術は後からついてきます。大切なのは、この街への興味と愛着です。
もし、今の仕事とは全く違う景色を見てみたいと思ったら、一度私たちのお茶飲み話につきあいませんか?
履歴書は不要です。まずは「街の話」をしに来てください。